かごしまクリエイティブライフ

「クリエイターの鹿児島移住(前編)

~どうして鹿児島市へ移住したの?」

近年、大都市圏から地方へのクリエイター移住が何かと話題だ。中でも福岡県や長野県などは移住先として大人気である。そんな中、鹿児島市にも何人ものクリエイターが移住してきている。鹿児島市以外にも多くの地方都市がある中で、なぜ鹿児島市へ移住をしたのか。鹿児島市へIターンされた小笹雄一郎さんと、Uターンされた久保雄太さんに、生粋の鹿児島人である新地が鹿児島市移住のあれこれについて聞いた。

小笹 雄一郎(おざさ ゆういちろう)コトカキ屋 代表/デザイナー・ディレクター

1986年兵庫県神戸市生まれ。京都造形芸術大学環境デザイン学科卒業後、薩摩川内市雇用創造協議会(通称ぽっちゃん計画室)にて、2年間商品開発員として従事。その後、一般社団法人鹿児島天文館総合研究所Ten-Labにてディレクター・デザイナーとして、沖永良部島・鹿屋・甑島を中心に県内各所のプロジェクトに携わる。2014年10月コトカキ屋を設立。現在、鹿児島県内の建設会社、障害者就労支援施設、農家などのブランディングに携わる一方、ファシリテーターとして県内の対話の場のサポートを行っている。

久保 雄太(くぼ ゆうた)サクラ島大学 学長/デザイナー・ディレクター

1983年鹿児島市生まれ。 2007年4月、福岡にて株式会社SOL DESIGN入社。同時に、NPO法人九州コミュニティ研究所に所属。2010年よりフリーランスとして活動。2011年7月鹿児島にて、暮らしをテーマにした学びの場づくり「サクラ島大学」を開始。広告とパブリックデザインの現場経験を活かし、様々なデザインプロジェクトの企画立案、ディレクションおよびデザインを担っている。

新地美沙(しんち みさ)株式会社創企堂 アートディレクター

鹿児島市生まれ鹿児島市育ち。鹿児島市の印刷会社にて、約15年デザイナーとして従事。その後結婚・出産を期に退社し、2013年より現在所属している株式会社創企堂にて鹿児島市デザイン関連人材育成・交流支援事業、クリエイティブ産業創出支援事業、そして今年度クリエイティブ人材誘致事業に携わっている。

新地―よろしくお願いします。では、はじめに自己紹介をお願いします。現在どのような活動をされているかも含めてお話いただけますか。

小笹:はい、小笹雄一郎と申します。よろしくお願いします。ファシリテーションを含むディレクションをしながら、アウトプットまでするデザイナーという感じで活動しています。デザインするだけでは解決できない地域でもいろいろと力になれるようにという思いで活動しています。

新地―ありがとうございます。では、久保さんお願いします。

久保:久保雄太です。よろしくお願いします。私は、商品開発・イベントなど企画の立案から進め、グラフィック・Webを中心に活動しているフリーランスのデザイナーです。それと自主的な活動コンテンツとして「サクラ島大学」という鹿児島の暮らしを中心とした架空の学び場を運営しています。

新地―ありがとうございます。お二人ともデザイナーの役割だけではなく、地域に入って活動していくことを重視されているんですね。

小笹:そうですね。鹿児島市にはまだまだクリエイターが少ないですよね。なので、デザインが必要な人がデザイナーに出会えていないと思っています。僕はいろいろな関わり方で人と繋がらせていただく機会が多いため、お仕事にも繋がっています。

新地―なるほど。小笹さんは鹿児島市出身ではないとのことですが、鹿児島市に移住されたきっかけは何だったんでしょうか。

小笹:はい。甑島(こしきしま・鹿児島県薩摩川内市)出身の大学時代の友人がきっかけで甑島アートプロジェクトに参加するため何度か鹿児島に来ていました。そのときの繋がりから、薩摩川内市の商品開発員として2年間従事することになったんです。その後は、甑島で活動している間にできた繋がりから、鹿児島市で活動する一般社団法人Ten-Labへ移りました。そこは、街と人、企業と地域のよりよい関係づくりにチャレンジしていた団体だったので、地域のコミュニティ支援や人材育成、特産品を活かした商品開発など県内各所のプロジェクトにディレクター・デザイナーとして携わることができました。そこから、2014年に独立するにあたり県内外のいろいろなところとの利便性なども考えて、鹿児島市でコトカキ屋を設立し今に至っています。

新地―鹿児島市のイメージって移住する前はどんな感じでした?

小笹:正直言うと、イメージゼロでした(笑)。初めて鹿児島市に来たときも鹿児島中央駅まで新幹線で来て、そのまますぐ甑島へ向かったので、鹿児島市内はぜんぜん体感しなかったんです。それで、そのあと引っ越すことになったときに、甑島から見たら鹿児島市は大都会でビックリしました。

新地―大都会(笑)。なるほど、確かに甑島から見るとそうかもしれないですね。鹿児島市内に来て、イメージが変わったことってありましたか。

小笹:いやいやほんと大都会ですよ(笑)。大都会と言ってもビルや人の密度が密集しすぎていないため、空も見えるし、ゴミゴミしたようなストレスを感じるような場所ではなく、心地よく過ごせる適度な街ですね。あとは「人」に衝撃を受けました。鹿児島市に来て出会った人はみんな熱量が高くて。たまたま、鹿児島市のキーマンが集中している所に入ったこともあるんですが、鹿児島市ってこんなに「人」がすごいのかと衝撃を受けましたね。

新地―熱いですよね鹿児島人(笑)。久保さんは鹿児島市出身とのことですが、鹿児島市へ帰ってこられたきっかけを教えていただけますか。

久保:はい、私は高校まで鹿児島市で育ちました。その後、福岡の大学で建築を学ぶため、初めて県外へ出ました。大学卒業後は、グラフィック・Webを中心としたデザイン事務所で3年間デザインの仕事をさせてもらいました。その事務所が運営していたNPO法人で、福祉、子育てなどデザインが届いていない領域をデザインすることなども経験できました。その経験があったので、自分でも地域の人と関わる場を、学びを口実につくりたいと考えていたんです。そういった場をつくるうえで、熱を注げると思ったのは、生まれ育った場所だと思い、鹿児島市に戻ることを決めました。戻った後に、鹿児島市のソーシャルビジネスのサポートプログラムや、デザイナーと企業のマッチングなど、フリーランスとしての動きを後押ししてもらえる機会も多かったです。良き出会いが繋がっていきました。

新地―なるほど。それでは県外へ出る前の鹿児島市のイメージってどんな感じでした?

久保:やっぱり桜島でしょうか。桜島にはもともと愛着がありました。それと同時に神聖な場所でもあります。私は学生時代、駅伝をやっていたのですが、私にとって桜島は決闘の場のようなものでした。桜島で大会が行われることが多く、大会の日はライバルと共にフェリーで決闘の場「桜島」に向かうんです。あと桜島の灰が降る日は学ランが白くなったりして、桜島にまつわる思い出はいろいろとありますね。

新地―確かに、桜島にまつわる鹿児島市ならではのことはたくさんありますよね。天気予報で桜島上空の風向き予想が出たり、灰を処理するための克灰袋というものがあったり(笑)。久保さんは帰ってくる前とイメージが変わったことってありましたか。

久保:そうですね。私が高校卒業して大学へ進んだころに西鹿児島駅が鹿児島中央駅に変わって、アミュプラザが出来て、イオンが出来て、今はフレスポジャングルパークになっていますが、鹿児島で唯一の遊園地ジャングルパークが無くなって。。。町の様子はかなり変わりましたね。ただ、そんな中でも桜島だけは変わらない、こんなにシンボリックな存在は他に無いなという実感がありました。

町が変化しても桜島だけは変わっていないですね。小笹さんは鹿児島市で暮らしてみて、これまでに困ったことや苦しかったことはありますか。

小笹:私の場合、人とのつながりのおかげでだいたい何とかなりました。例えば甑島から鹿児島市へ移り住むときの家探しも、知人のアパートに住まわせてもらえたり、引越しするときに飼っていた猫を知人のつてで預かってもらえたり、近所の方から野菜や魚をもらえたり、忙しくて外食が続くときはご馳走してもらったり(笑)。金銭的に苦しかったときも、人や仕事のつながりで困った面を補完してもらった感じです。人のつながりから仕事も生まれているので、ありがたいことに鹿児島市へ来てから仕事がないということはなかったですね。

新地―そうなんですね、生活や仕事の面で人のつながりはやはり大きいですね。まだまだお聞きしたいこともありますので、具体的な生活のことや、お仕事のについては「クリエイターの鹿児島市移住(後編)~仕事と生活について」でお聞きしたいと思います。(続く)

後編へ続く(近日公開)